『今も…』

『今も…』とは

2014年

東日本大震災まで私たち家族は宮城県亘理郡亘理町荒浜築港通りに住んでいた。地名の如く港の真ん前の地域。案の定、危険区域指定。そして、決定した集団移転区域はわずか1kmほど陸側へ離れた場所。それでも悔しい。たった1kmでも、元の場所が良い。今でも思ってしまう。

 

そんなある日、TVの福島県の避難生活の現状を伝えるドキュメンタリーを偶然観た。

 

「放射線量が規定内ですから大丈夫です。」「除染をしたから避難区域を解除します。」などなどのアナウンスで保証や支援が受けられない。戻ったは良いけれど、日々不安と葛藤が付き纏う。 そんな内容だった。

「自己責任」って重い。重すぎる。

 

観ている内に自分の地域の想いと重なった。 荒浜地区の集団移転地に戻りたいと思う一方で

「日中、家族が出かけてしまい、一人になる年寄りが心配だから」

「障害のある家族がいるから避難が・・・」

「子供たちのことを考えると・・・」

理由は様々だが、戻ることを諦め陸側の移転地を選択された方々が大勢いる。それでも、荒浜を想い続け、つながりを持っていたいと願う人々が大勢る。

 

福島の方々はどんなにか・・・

考えている内に浮かんできたのが

 

帰らなくても ふるさとは

帰れなくても ふるさとは

戻らなくても ふるさとは

戻れなくても ふるさとは

 

だった。メロディと歌詞が同時に流れて来た。

 

帰らないと覚悟された方々

帰れないと・・・

戻らないと・・・

戻れないと・・・

 

そう。それは覚悟なのだ。当事者に強いられる、当事者にしか出来ない覚悟なのだ。

 

ふるさとはいつでも、いつになってもふるさと。

そして、移転の決断をされた皆さんが今お住まいのその場所がいつか「ふるさと」と言える町になりますように。

 

 

歌詞

『今も…』

愛する人を 貫いた雨

今は静かに流れていく

 

愛する人と 生きる覚悟も

今は迷いが押し寄せる

 

いつの日か この場所に

桜が咲きますように

 

いつの日か このまちに

笑顔が咲きますように

 

帰らなくても ふるさとは

帰れなくても ふるさとは

戻らなくても ふるさとは

戻れなくても ふるさとは

 

愛する人が 消えたこの場所

今も時は止まったまま

 

愛する人に 寄り添えるもの

今も探し続けている

 

いつの日も この場所が

祈りでありますように

 

いつの日も このまちが

夢でありますように

 

帰らなくても ふるさとは

帰れなくても ふるさとは

戻らなくても ふるさとは

戻れなくても ふるさとは

 

いつの日も この場所を

忘れてしまわないように

 

いつの日も このまちを

想いつづけられるように

 

帰らなくても ふるさとは

帰れなくても ふるさとは

戻らなくても ふるさとは

戻れなくても ふるさとは