私たちに出来ること。
年が明け1月も後半に入った。2月、3月…。
そう3月11日が近づいている。
2011年3月11日東日本大震災から7年が過ぎようとしている。直後から「私たちに何が出来ますか?」という温かいことばを日本中、世界中からいただいた。それはそれは想像もできないほどに沢山。私たちは、その言葉と物資に助けていただき、込められたまこごろに支えていただいた、いや、今も支えていただいている。
8年目を前に思うこと。
「私たちに何が出来るのだろう。」
東北におこころを寄せてくださった、くださっている方々に、私たちが出来ることは?
先日、ある方が書いていた言葉に「恩送り」とあった。「恩返し」ではなく「恩送り」。恩は返して欲しいから送るものではない。だから自分がいただいた恩はお返しするのではなく、出来ることを、必要とされている方に贈る。そのお相手はまた別の方に出来ることを贈る。そうしていけば優しさは人々の間を巡り巡って行く。という内容だった。
物資や仮設住宅など生活に関する環境が少し落ち着いた頃から、皆様からの「私たちに何が出来ますか?」という問いかけに、私たちは「どうぞ伝えてください。震災当時のこと、津波のこと、防災のこと、現状、見聞きしたことを、友達に、ご家族に、ご近所さんに、未来の子供さんに、お孫さんに伝えてください。」とお願いして来ました。
だとしたら「私たちに出来ること」とは「お伝えすること」なのではないだろうか?
東日本大震災について、津波について、防災について…
私たちは事あるごとに、折に触れ、皆様にお伝えすことで「恩送り」出来るのではないかと。
私が感じている「知っていた人」と「知らなかった人」の地震直後の行動の圧倒的な差。ならばこの先のために「知っていた人」を増やすお手伝いが出来るのではないだろうか。と。
また、3月11日には慰霊祭や慰霊法要が各地で行われ報道陣が集結する。その報道は人々の記憶が年々薄れて行くこれからが益々大切になって行くのだろうと思う。当事者である私たちの記憶は薄れることはあまりない。忘れたいと願っている方こそ忘れられない。今でも私たちは昨日のことのように話せる。だから、経験をしなかった方々に、もう気にも留めていらっしゃらない方にこそ、嫌でも思い出し頂くことが大切なのだ。この日だけでいい、大地震は地球上どこにでも起こりうること。その後には大津波が来ること。その惨劇と光景。人々の恐怖に触れ学習して欲しい。
お伝えすること。もう一つ大切なことがある。それは「人は立ち上がれる」ということ。途方にくれるほどの悲惨な被災地も復興出来る。どんなに悲しい状況下でも手を伸ばせる人がいてくれたら生きられる。ことを知っていて欲しい。
だから、出来る人が、出来るところで、出来る範囲で、でも粘り強くいつまでも、お伝えをする「恩送り」をつづけて行ければ。と。
私も「おんおくり」できることで…