
3.11から西への旅2019
4月12〜16日の日程で今年も岡山県、広島県へ行かせていただいた。
今回は仲間と一緒の旅が実現したのだ。
西日本初出張の「ホッキーくん」と「わたりん」を伴い、普門寺住職坂野ご夫妻、みんなのとしょかん山元館長菊地さん、青巣稲荷神社神主で元お寺ボランティアセンター長の藤本さん、わたりグリーンベント渡辺さん、内藤ファーム内藤さん、主人と私の総勢8人の旅となった。
それぞれ交通手段、日程を工夫しての参加。おかげさまで賑やかな楽しい旅となった。
「ありがとう」を伝えるために出かけて行った2017年
「どうしても伝えたいこと」を伝えるために出向いた2018年
「元気」を届けるために押し掛けた2019年
何が出来て、何が出来ていなかったのかはわからない。でも今回に限っては、こちらの仲間とともに行けたことに意味があったと思っている。被災するという不運。壊れてしまった町。見えない復興と理不尽。それでも私たちは生きていること。ここまで元気になれたことを見て欲しかった。出逢って感じて欲しかった。お一人でもいい、前を向くお手伝いが出来ていたなら嬉しい。
今回も西の友たちは待っていてくれた。そしてそれぞれの立場で私たちの想うこと伝えたいことを汲み取り場所をつくってくださっていた。私たちは東日本大震災でいただいた多くの応援に少しでも恩返し恩贈りが出来たならと出向いたのだが、またしても多くをいただく結果となり、このご恩をまた如何に恩贈りしようかと楽しい悩みを抱えることとなった。そう、そうなのだ。こうして恩を贈りあうことで絆は深まって行くのだろう。生まれ育ったわけでもなく縁もゆかりもなかったこの瀬戸内の街をこんなにも想い愛してしまっている自分が不思議ですらある。
個人的にはこの旅の前に3月11日の「東日本大震災を想う日の追悼音楽会」を過ごし、3月24日には未知の世界「演劇」を経験し、西へと向かった。
「東日本大震災を想う日の追悼音楽会」 を地元である亘理町荒浜でどうしてもやりたいと思った、どうしても荒浜の海で亡くなられた方々に届けるために歌いたいと思ってしまった1月。そこから短い期間での若者たちの怒涛の段取りによって実現。「ありがとう」以外に言葉はなかった。準備を進める中、私は「この日のために震災後歌いつづけてきた」と思えていた。私たちに出来ることは僅かだけれど、忘れないこと、伝え続けることが亡くなられた方々に報いることになるのではないだろうか。そんな想いに賛同してくださった方々によって実現した。
ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。
そして、3月24日演劇集団アクト青山アトリエ公演 岸田國士「紙風船」にて挿入歌の演奏をさせていただく。客入れ時にはミニライブとして2曲を歌わせていただいた。
セットリスト
♪ いまでもひとり
♪ 紫陽花(しようか)
♪ 毎日、を永遠に
♪ 今も…
この2日前の夜に発熱という失態。この日限りの3公演なのに、しかもアクト青山として、アトリエ公演として最後の公演なのに、喉はギリギリという悔しい結果。逆に言うなら「これが私の実力の限界」なのだろうと思い知らされた。
にも拘わらず、あたたかい言葉をかけてくださったお客様、劇団の皆さん、主宰で演出の小西さん。本当にありがとうございます。そして申し訳ございませんでした。
そんな二つの経験は「これまで」と「いま」と「これから」をぼんやりと重ね合わせることになった。
「これまで」
震災後に出来てしまった「思い出の跡」を歌い始め仲間と一緒に泣ければ良いと振り切って歌い続け、「小さな畑」でありがとうを、「今も…」で悩み、「想い」で伝えることを知り、「おかえり!」で友と喜び、「春がくる」で折り合いがついた。
もう一つ。
2014年9月。東日本大震災の復興支援公演という形でアクト青山主宰の小西さんに出逢わせていただいた。飯田南織さん作、演出の演劇「黒いきつねとカゲミの木」が忍者まつりとともに亘理町公民館で2日間公演されたのだが、その2日前に偶然「今も…」を聴いてくださった南織さんからご依頼をいただき前説で歌うことに。それはそれは熱心なご依頼、どういうことになるのかわけもわからずお引き受けしてしまったのが正直なところであった。直前リハーサルから緊張のしっぱなしで実のところあまりよく覚えていない。緞帳の後ろで聴いてくださっていた小西さんは後にその時の印象を
「…この人に、こんな悲しい震災の歌だけを歌わせておいていいのだろうか?…」
と語ってくださった。その言葉通り、小西さんは2016年冬、作曲の依頼をくださる。小西さんが描いた歌詞に音をのせて声でお返しする作業。
「薔薇よ」「いまでもひとり」
そして、アクト青山の公演に出かけて行く日々。演劇など無縁の世界で生きてきた私にとってそれはしあわせな時間。目に見えない何かが傷を撫でてくれる感覚。それが芸術というものの役割だと学ばせていただいた。
「今」
「春がくる」の中の歌詞「まやかしの春をまとって…」は正に現在進行形ではあるものの自分の中の負の感情を受け入れたことで逆に楽になったのかもしれない。それでも海で歌いたいと思えたのは自分でも驚いている。追悼音楽会を終えたとき、小さな本当に小さい燃え尽き症候群のような症状を覚えるも次の依頼に助けられたのである。IVUSAの諸君を前にいつものように「東日本大震災を思い出していただくお手伝い~詩うたい~」を。真剣なまなざしで聴いてくれる彼らに救われた想いである。
そして「紙風船」。
今回の曲「毎日、を永遠に」
ミニライブの為にもう一曲「紫陽花(しようか)」
今回の公演にご一緒させていただけたこと、本当に本当に光栄なこと。大切な経験。
「歌うこと」=「震災を伝える」
これが少しずつ溶けていくのを感じた。
震災をテーマにしていようといまいと歌はうた
泣こうと
笑おうと
怒ろうと
聴く人の何かが埋まったならそれでいい。そう思えるようになった。
その上での西への旅。
震災、防災を仲間とともに全力でお伝えさせていただき、イベントでは全力で歌い、踊り、楽しませていただいた。一人のシンガーソングライターとしてのステージも務めさせていただいた。これからへの貴重な体験をさせていただいた気がした。
「これから」
もう「動きつづける」こと。これしかないと思えている。前でも後ろでもいい、動く。私の場合、迷っても悩んでも立ち止まってはいけないらしい。だから動きつづけようと思う。 後何年、動きつづけられるのかはわからない、でもそんなに長い時間でないことは確か。ならば今の内に、動き回れる間に、歌うこと、語ること、伝えること、そして聴くこと、観ること。つづけます。
2011年3月11日の東日本大震災、それはそれは不運で不幸な出来事だった。お亡くなりになられた方々、ご遺族の皆様には本当にお気の毒なことと思っております。しかしながら、わたし個人は家族親族を亡くすこともなく、家を流出しただけにとどまり難を逃れたと思っている。しかも、その後の奇跡のような出逢いに多くの勇気としあわせをいただいている。
こころから心から「ありがとう」を!
そして、これからも…